90年代後半、私が高校生だったころ
ハイスタは間違いなく、日本のパンクロックを牽引していたと思う。
キャッチーなメロディとスピード感
その他どれをとっても3人のバランスは絶妙で
激しくカッコよかった。
ゆえに多くの若者達から人気を集め、売れに売れていた。
辻の専門学校に行くために、米子から大阪にでていた私は
ハイスタのライブに友達と大騒ぎしてでかけていったものである。
少しでも近くで見たくて
一階の前にでてみたものの、ハイスタなどの場合
それは大きな間違いだと気付いた。
男の子率の高い、一階の前の方なんて
顔の前は背中で逆に全然見えないし、米子の小さいライブハウスと違って
ベイサイドジェニーのような大バコだと
後ろから押されるパワーはハンパないし、息できないし
頭の上には、人がころがってるし
難波さんが何か言えば
男の子たちは「うおーー!!」となって、空気薄くなるし......
「後ろに行きたい...」と思ったところで
常に前に押されているわけだから、戻れるはずもない。
ライブが終わってみれば、友達とははぐれてるし
ボロボロのヨレヨレだった。
けれど、大好きなパフォーマーの生の音を体いっぱいに浴びて
好きに騒げるというのは、クラブにいる比ではなく
サイコーに気持ちイイものだった。
そんなハイスタは人気絶頂のころ、2000年の AIR JAM をもって
活動をストップしてしまった。
それを聞いたときのさびしさったら......ない。
ザブーーンと大波にのまれたような、頭がサーーとするような
冷たい悲しさに包まれた。
そして、腹立たしさ、苛立ちにも似た感情がふつふつとわく。
ふつふつとわいていくと、今度は心臓がバクバクとした。
なんで!?そんな......
頭のすみっこで、常に考えてしまう。。
「なんで!?」といつも思っていた。
それが今、あの頃の彼らと同じくらいの年になってわかる。
色々、、、あるよネ。。。って。
売れてるからって、ザッツオーライじゃないってコトを。。。
2009年の今、ハイスタは変わらず活動休止中である。
2000年から今に至るまでの間
難波さんは、健ちゃんが代表を務めるピザに対して
原盤権の3等分を求めたりした。
それに対して、ピザも、健ちゃんも、何も答えなかった。
仲が悪いのか...と思っていると
難波さんのレコーディングに健ちゃんがギターで参加したりしていた。
仲悪くないのか...? よく...わからない。
でも、そんなこんな色々な事が起きるくらい、9年という月日は長いのだ。
レトロな入口でとても素敵だった、ベイサイドジェニーだってもうない。
そしてフジロックでは、今やダイブは禁止である。
あのー、ロックフェスなんですけど......。
オープティからヴューロジへ。約10年間、この店で仕事をしてきて
色んなことがあって、大変なこともあったけど
本当に楽しかった。
お客様に「ここに来ると、美味しいし、楽しくて♪」と
言って頂けたことがあったけれども
それは逆も同じで、私もみなさまと色々な話しをさせて頂いて
本当に楽しかった。
心から、ありがとうございました。
19日の e-annonce の後、来てくださった女の子たちが
目からホロリとされたときは、つられてしまいました。
女の子の涙には、弱いのヨ。。
終わりがあれば、始まりがある。
そんなこと、卒園式から小学校の入学のときに知ったハゲである。
生きていくことは、選択していくことなのだ。
そんなこと、高校受験のときから知っている。
(いや、もっと前か。。。)
今、ハイスタの難波さんは
IMARUちゃんのプロデュースをしたり、チベットフリーのイベントをしたり
大忙しで活動中である。
健ちゃんは
「こんなしょーもないことのために、会社やってんじゃねー!」とか
ぶつくさ言いながらも、変わらずピザの代表を務めている。
また、Ken Yokoyamaとして、武道館をファンでいっぱいにできるのに
レコード店で
「眠いけど、伝えたいことがあるんすよねー」とか言いながら
イベントなどをしてくれる。
(そしてあいかわらずカッコイイ!)
ハイスタは終わったけれども、それからまた新しいことが始まった。
あのとき、楽しみを取り上げられたようで悲しかったけれども
それはまた、新しい楽しみにつながっていた。
ハイスタの最後のフルアルバムの中の1曲。
「STAY GOLD」
"金ぴかのままで"
そのアルバムのタイトルは
「Making the road」
オレたちの道はまだまだ終わらないよっ!て。
だから、かわいこちゃんたち、もう泣かないでネ。
