「クリエーターでない自分の道は」

2009年8月9日UP

今年2009年で船橋が料理業界に飛び込んでから、早くも丸30年が経ちました。
辻調の外来講師として授業をされた多くのグランシェフに出会えたのを皮切りに、日本、フランス、ベルギー、デンマーク、スウェーデンで色々なタイプのシェフと共に仕事をしたり、お話をうかがう機会が数多くありました。
現在の自分のフランス料理のスタイルは、これらのシェフから教えて頂いた多くの事を、その材料・状況をふまえて組み合わせ、ポイントを絞り楽しんで頂く事を心掛けた形にしています。 ですから皆様には、船橋の料理は「何処かで食べた味」と感じて頂ける事があるのではないでしょうか。 もし、そう思って頂ければ「確実にグランシェフのコピーが出来ている」と自分自身への自信にも成り、嬉しくもあり、ひいては自分に数々のテクニック、アイディア、エスプリ等々を教えてくれたシェフ達へのご恩返しにも成ると考えています。 時にこういった考えは「古くさい料理」しか作れないと思われがちですが、一概にそうは言い切れないと実感出来る事が、近年になって数多くありますので、今後もこのスタイルを続けいきたいと思ってます。

渡仏前に働いていた店(懐石風フランス料理店)から、パリでシェフをやる1989年までの期間は、やたらと「創作料理」が好きでした。 作る度毎に高評価してもらう事が出来ましたので、目新しい事ばかり取り入れる事に終始して、何故フランスに来たかと言う事さえ忘れがちでした。 この時期は、自分の知らないテクニックや素材を使っていない店の料理は、軽く見てしまう事も頻繁にありました。 最新と言われる情報収集に執着して、己のテクニック向上は何処へやら、今になって思えば船橋の「迷走時期」でした。

その「創作料理好き」が変わったのは、天才と言われるシェフとの出会いが有ったからだと思います。
A・パッサーchef との出会いは、その第一歩でした。 材料の状態を見て、直感的に調理方法や味付けの方向を変えるのです。 そしてそれを実践してみせる。 それを自分たちが同じ(
ような??)作業をしてもシェフと同じものに仕上がらない。 その船橋が手に余してしまった物を、シェフは修正できる。 こんな事が、今もハッキリと直ぐに思い出せるだけで4回有ります。 このブリュッセルでの体験が、「創作料理とは」と考える切っ掛けと成り、「目新しい物で気を引くよりもテクニックを上達させて納得して頂く」と言う考えに変わっていく始まりと成りました。
そして、 A・パッサーchef と働いた半年後、馬田さんに「船橋、新しい料理も良いけれど、長年*(
三ッ)を続けている、安定した料理もチャント見てみる必要が有るのではないか。」的な事を言われ、タイユヴァンへのスタジエが決まりました。 入ってみればドリーニュchef にも大きなチャンス(魚のドゥミシェフ)を頂く事が出来、毎サーヴィス毎に「同じ料理を作る難しさ」を実感させられていました。 ですが相変わらず船橋は、料理本(料理書ではない)を買いまくり、新しい物を見つけ出しては食べに行き、誇らしげに料理評論家気取りで分析し「指摘」を繰り返す。 そんな時です。 川崎chef (Paris・M.ロスタン在籍当時)に「船橋君は料理を分析する能力は凄いと思うけど、その料理作れるの?」、「なんの為に分析してるの?」、「それは君にどんな風に役立っているの?」と言われました。 これが A・パッサーchef の下での経験とリンクして、「創作料理熱」が冷める大きな切っ掛けと成ったのではないかと思います。 この時に自分の中で何かが、「ダダーン」と音がしたのは未だに覚えています。 それからです。 「船橋の作る創作料理は形の変わった日本料理、天才シェフの創作料理はフランス料理」と思い始めたのは。
その後も数人の天才と言われる方と接する事が出来、その考えはどんどん固まっていきました。 そして船橋が買う本の内容も、食べに行くレストランも「創作料理」からは少し距離を置く様に成りました。
(補足:船橋の中では「創作料理」と「新しい料理」は分けて考えています。例えば醤油やうどんを使っているから単に創作料理とは思いません。それらの使い方・組み合わせ方をフランス料理に作り上げたエスプリの有る事を言っています。船橋にとって「創作料理」を作れる=「天才シェフ」です。 「新しい料理」とは単に目新しいテクニックや材料を使って作られた料理で(味は好みが有るので別)、ここでなんの為にこの技法、何故にこの材料と言った様な説得力の薄い、エスプリの見えない(船橋に)料理を言っています。)

ところが1989年にパリでシェフをやった三ヶ月間(最後はドクターストップで挫折)は、在仏期間5年目と言う自信からか自惚れからか、やたらと「創作料理」に終始しました。 そしてここでの経験が、料理人としての自分を解る良い機会と成りました。 それは、自分自身が考えた「創作料理」をスタッフが失敗した時に修正が出来ない。 それなりの味にまとめて出すしかなくなる。 でも、自分の求めた料理ではない。 ですが、そんな料理でも御客様の評価は、目新しさから上々。 リピーターのリクエストも増える。 地方(フランスの)から来た御客様や旅行者から口コミで広がる(御客様から聞きました)。 反面、店の周辺レアールに永く住む爺ちゃん・婆ちゃんにはブーブーのブーイング。 「Toshioの作る「創作」って言ってる料理は、○○(天才シェフ)のに似ているけど違う。」「日本も鮨と天ぷら以外はフランスと同じ様な物食べるんだ(船橋の作る創作料理を和食と思っている)。」「Toshioの作るフランス料理は毎日でも食べれるのに、「創作料理」は次回はナ〜〜。でも、○○の(前出)のはまた食べに行こうと思う。」てな具合から、自分が「創作料理を作る事」に迷いが出る様に成りました。 そしてこれと同様な事が、この半年後のクレモンフェラン近郊デュトルに居た時も起きました。 この時は、もっと考えさせられる事に成りました。 店的にはパトロンやシェフの好きな「創作料理」を前面に出してのUPを狙いたい。 だが、御客様の足は遠のく。 そこでParisでの自分の経験や感じた事を二人とマダムに聞いてもらい相談して、肉料理と温製前菜は定番的な料理に戻して(担当:船橋)料理のバリエーションを増やす事に成りました。 結果は良好でした。 この話し合いから一ヶ月半後には、V. ジスカールデスタン(元仏大統領)氏も会食会をして、「今日の肉料理を、日本人が作っているとは思わなかった。」(流石、シネマの国)と言って頂けた事から、御客様は二ヶ月前の倍近く成っていました。 この頃からかシェフと自分の間に大きな問題が出来、パトロンの「紙(滞在許可)の無いToshioは少し静かにしろ」と言う言葉で店を離れなければ、逆にもう少し「創作料理」に執着したかもしれません。

帰国してからは、以前にも増して「自分の料理とは」と考える事が多く成り、迷っていた時です。 再渡仏してのJ.・マキシマンchef の下での経験が、紆余曲折していた考えに一区切りをつけてくれました。 前の渡仏した時からの引き続きで、「自分はクリエーターではない」事をまざまざと見・経験する事が出来ました。 

この地、大阪で自分の店を始めてから「船橋の得意料理は何?」と聞かれる度に困っていました。 多分ここにはまだ、迷いが晴れないでいる自分が在ったからと思います。 ですが、約十ヶ月前のインターバルの時、これからの自分は今迄に多くの事を教えてくれた「グランシェフ達の仕事を、再現して皆様に楽しんで頂く。」事だと知る事が出来ました。